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貧乏体験

食べ物の大切さを学べた貧乏体験は、今では私の宝物です。

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今年で32歳になる、会社員です。
もう今から20数年前の話になりますが、私の実家は昔からとても貧乏な家でした。

原因は、父が生活費を入れずに飲み屋で全て使っていたことです。
当時から毎週2回から3回は飲みに行っていた記憶がありますが、1回につきどれくらい浪費していたのかは知りません。

ただ飲み屋のママに随分と入れ込んでいたようで、お金と女性絡みの両方のことでよく母と喧嘩していたのは覚えています。
幼心ながら、その光景は見ていてとても苦しかったです。

そんな父は、私が小学校3年生のときにある日突然帰ってこなくなりました。
それ以来暫く、母子家庭で私は育っています。

父親がいなくなる前も後も、毎月の食費は大体5000円くらいでした。
生活費全般でどれくらいだったのかは知らないのですが、お風呂は水道水でサッと全身を流すくらい、たまにお湯を沸かして湯船に浸かれる感じです。
そして服は4着あるものをローテーションで着ており、よく友達からはまたその服かよとからかわれたものでした。

実は私の母は交通事故で足を悪くし、まともにパートに出ることなどはできませんでした。
それでも必死に内職などをし、私が少しでも贅沢できるよう頑張ってくれていたのを覚えています。

小学生の間は、給食を含めて1日2食あれば幸運な状態でしたが、それでも私にとってこの上ない贅沢でした。
スーパーの試食コーナーのウインナー1本が、その日の夕食だったこともありますし、たまに近所の人が余ったおかずをくれるとお祭り騒ぎです。
変に見栄を張らずに喜ぶときは喜ぶ、これも母から教わった大切なことです。

とはいえ、もっと食べたいなとかあれを買ってほしいという気持ちがあったのも本心です。
私は昔からあまり物欲はなかったので、おもちゃなどを欲しがったことはほぼありません。
その代わりいつもクラスメートが外食をしている話を聞いては、羨ましく感じていました。

また、給食が有料であることを当時は知らず、貧乏なのに好き嫌いで残したこともあります。
母親が懸命に自分のことを切り詰めて支払ってくれていた給食費、それに気付いたときは涙が止まりませんでした。

学校行事のイベントは、小学4年生と5年生の宿泊訓練、それから遠足などへも行ったことはありません。
唯一参加できたのが小学6年生の修学旅行なのですが、このときは母に新しい内縁の夫、つまりは私の新しい父親がいたのです。

その存在がいたおかげで私は修学旅行へ行けたものの、多感な時期に入っていたため複雑に感じた記憶があります。
今では何の躊躇いもなくお父さんと呼べているので、これもまた懐かしい話の1つかもしれません。

私が中学1年生の夏頃、母は正式に再婚をし貧乏生活から脱出することができました。
ですがこれ以降も、特に食べ物に対する感謝は忘れたことがありません。
ちゃんと毎日食べられる喜び、好き嫌いをするのがどれだけ罰当たりなことなのか、貧乏だったからこそ常に再確認していかなければならないのです。

こうして改めて振り返ってみると、私の貧乏体験は決して目を背けたくなるような過去にはなっていません。
定期的に思い出しては、色々なことを伝えてくれる思い出です。

これからもこの過去には胸を張り、何より母のことを大切にして生きていきます。
貧乏は恥ずかしいことではない、もし今同じような境遇にいる人がいればそう伝えたいです。

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