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貧乏体験

お化けより貧乏の方が怖いと思った子供時代

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今から30年くらい前は、今ほど豊かな暮らしをしている家庭は少なかったと思います。特に私は、田舎生まれの田舎育ちだったので、どこの家庭も経済的にゆとりがたくさんあったわけではなかったと思います。

でも、私の家は中でも非常に貧乏でした。働かない父親を持っていたこと。そして、何でも人任せで、他力本願で生きたい母親の元で育ったことが原因です。

どちらも、人一倍人目を気にして生きている人だったのですが、ゆとりがないのにおかしなところで見栄を張り、子どもの希望は一つも聞かない人だったため、私たち姉妹は肩身が狭い思いをしながら暮らしていました。

その中で一番辛かったことは、中学高校時代、学校が終わってから歩いて自宅に帰っていたことです。田舎のため、街灯もほとんどありません。真っ暗な中、一人で1時間以上歩いて帰る道は、己が貧乏であることを一番思い知らされる時間でした。

雪国だったので、冬はたくさん雪が降り、道路が凍ります。我が家以外は、どこでも親が子供を送迎するのですが、我が家には運転する人がいません。ポンコツ車はあったのですが、唯一運転する父親がアル中だったため、運転できなかったのです。

また、長年履きつぶした靴を履いていたので、雪が中まで入ってきて、足の感覚がなくなる。何度も転びながら歩いて帰る私を、友達は親の車でスイスイ越していくのを見て、恥ずかしく悔しい思いをしました。

友達は優しい人だったので、送っていくと言ってくれましたが、実際に車に乗せてもらうと、車中で親が助手席に座っている子供に言うのです。「○○ちゃん、こういう車には乗らないんだよ」と。

それを聞いてから、私はあえて友達と帰る時間をずらして益々遅い時間帰宅するようになりました。

アル中の父親の酒代はあっても、食材を買うお金はない。漬物をおかずに食事をしながら、中学高校を過ごしました。

お弁当は自分で作っていましたが、ろくなおかずも買えませんでしたので、いつも一人で食べていたことを覚えています。

最初は友達と一緒に食べていたのですが、友達が「質素だな」とか、「よくそれでご飯食べられるな」と笑って言うので、一緒に食べることが怖くなったのです。

当時、私にとって一番怖かったのは、お化けでも強盗でもなく貧乏でした。人の目や軽視されることでした。

私は、そこで腹の底から思ったことが二つあります。一つは、将来自分が親になったら、絶対に子供に同じ思いをさせないようにしようと思ったこと。もう一つは、誰かに頼る生き方は絶対にしないということです。

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