貧乏2

貧乏にジッと耐えた日々

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私の父親は北海道で塗装業をしていました。
塗装業をしていると、周囲からは職人だから稼ぎが良いと思われますが、そんな事はないのです。

北海道では、冬になると塗装業はほとんど仕事がありません。
出稼ぎに行ける人は良いのですが、私の父親のように行けない人は、本当に辛い日々を送ります。

子供だった私も、かなり辛い経験をしました。
冬になると、ほとんど毎日うどんやインスタントラーメンで、白いお米を食べる事は難しかったり、ストーブを早く消す為に、いつもよりも早く布団に入り、朝まで震えていた事もありました。

ですが、何よりも辛かったのは周囲に理解されないという事です。
親戚もうちが困っていると説明しても、誰も理解はしてくれませんでした。

確かに、毎月の給料だけ見ると、父親はかなり稼ぎは良かったんです。
ですが、その中から冬を過ごす為に貯金をしなくてはいけませんでしたし、家のローンもあったので、その為にも使える金額が少なかったのです。

だから、私も子供心にワガママは言ってはいけないと思いました。
小学生の時には特に辛く、友達がお誕生日会をすると聞いても、気の利いたプレゼントは渡せないから、自分が一生懸命溜めた可愛い消しゴムを包装紙に包み、なんとかプレゼントっぽく見せたり、新しいスキー靴を購入するお金がなかったから、風邪を引いたと学校を休むしかありませんでした。

時代は、バブル少し手前。
ほとんどの家庭が生活にゆとりがある中、なぜうちばかりがこうなんだろうと思ったものです。

そして、一番辛かったのは給食費です。
給食費を2ヶ月ほど払う事が出来なくて、担任に報告しました。
まさか払えないとは言えずに、忘れたと言ったのですが、担任にかなり叱られて、次に持ってこなかったら、「私は給食費を払っていません」と買いた紙をランドセルに貼って歩くように言われました。

あまりの言葉に泣きながら帰ったのですが、その事を両親になかなか言えませんでした。
日々の生活に忙しく、私の給食費の事を忘れている両親に、私はずっと言えなかったのです。

ですが、私の様子がおかしい事に母親が気が付き、私は母親に聞かれて、泣きながら正直に話しました。
母親は泣きながら私を抱き締めて、「ごめんね、ごめんね」と繰り返しました。

こんなに辛かった事はありません。
母親は、私の為に密かに貯めておいてくれたお金を出してくれて、給食費を払う事が出来ました。

そして、学校で必要なお金は遠慮しないで言うようにと言われました。
貧乏が辛いと感じるのは、誰にもその事を理解してもらえないという事です。
辛くても、ただジッと耐えるしかなかったのが辛かったです。

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