ごく一般の公務員の家に産まれたのですが、公務員だからそこまで貧乏ではないでしょ、と思われるかも、ですけど我が家にはお金がありませんでした。
母親は専業主婦をしていた時期もありましたが、お金がないことからパートタイマーで仕事をしにでかけていました。
母から、年の離れた妹の世話を含め、いろいろな役割を与えられていましたが、その中でも一番いやだったのは、近所のパン屋さんに行ってパンの耳をもらうことでした。
母は近所のパン屋さんには、まず行くことはしませんでした。
子どもだったら、目立たないだろう、という考えだったのかもしれませんけど、その役割は私でした。
しかも、もらうときにいうことは、パン粉を作りたいからと言いなさい、と言われていたので毎回毎回その言葉を口にしていました。
もらってきたパンの耳は、新鮮なうちは、そのまま生で朝食に、硬くなってくるとトースターに入れて食べていました。
もっとも、父の食パンだけは、普通の食パンでしたが。
トーストにすると、薄いパンの耳の場合、トースターに引っかかってしまい、丸焦げになることもしばしばでした。
それはそれで、カリカリになっておいしいと言えばおいしかったのですが・・。
夏休みなどの長期の休みのときには、その食パンは私と妹のお昼ご飯でした。
そのまま、グラニュー糖でもなんでもない、ごく普通の砂糖をつけて、食べていました。
安いティーパックで入れた紅茶とともにです。
安いティーパックは、朝も飲んだ使い古しですから、かすかに色がついているかな、といった程度でしたが、それでもないよりはましです。
牛乳は、高いので我が家の食卓にはありませんでしたから。
パンの耳は、袋の中に入れてあるのですが、その袋をもらって帰ったら、家に着いたとたんすぐに中身をチェックします。
分厚い白い食パンの部分がついているパンがどれだけ入っているかをです。
そして、たくさん白い食パンの部分が付いているときには、ラッキーと思って妹と取り合いをしていました。
時には、それに母が参戦して、母が白い部分が多いパンを取っていました。
繰り返し、そのパン屋さんに行くようになると、評判になってしまいますので、同じパン屋さんではなく、子どもの足で歩いて行ける範囲の別のパン屋さんにも顔を出します。
そして、同じようにもらってくるわけです。
繰り返し、同じパン屋さんに行くことでのメリットもありました。
パンの耳を捨てずにとっておいてくれる、ということをしてくれていました。
でも、梅雨時など、悲しいことに、カビが生えてしまっているときもありました。
そういったときには、その部分を、母が包丁でそぎ落としてくれトーストにして食べることにしていました。
ただ、しっかり、削ぎ落さないと、たとえトーストにして焼いてしまっても、カビの味が残ってしまい、何とも言えないまずい味がしていました。
なぜ、我が家はそこまでお金がなかったのか、貧乏だったのか、わかりませんが、少なくともそうやって育てられたので、私学への進学はもちろんあきらめ、お金のかからない道を選んだのは、言うまでもありません。