これは、私が駆け落ちして、親にも頼れなかった時の話です。当時、どうしても一緒になりたかった外国人の彼がいて、一緒になるため家をそのまま出てしまいました。
そのときは、後悔という文字もなく、アパートだけ住めるように彼に借りてもらっていました。
2部屋の古いアパート。バッグ一つで出てきたので、たいしたものも持ってきていなく、でも何とかなると思っていました。
一緒になった夫は、たいした学歴を持っていなかったので、一般の仕事にもつけず、しかも難語読解症(ディスレクシア)。
文字かひっくり返って見えるそうで、ハリウッドスターでいうなら、トム・クルーズがそうらしい。
当時文字がまともに書けない・読めないことを隠していた夫は、通りで夜中にジュエリーを売って生計を立てていました。
でも一ヶ月に入るお金は2,3万かそこら。そこで、遠方から家出してきた私も、稼がなきゃということで、仕事探しを始め、ラッキーなことにある旅行会社に勤めることができました。
家から会社までは、電車で2時間以上もかかり、毎日すし詰めの中。夫は夜中の仕事なので、私が会社に行く頃、帰ってくるという始末。駅で毎日、すれ違いの日々を過ごしていました。
一ヶ月も経たないころ、こういうすれ違いの生活に怒りを覚えた夫が、会社に直接文句をいう電話を頻繁にかけてくるようになり、もちろん最初は、私も小声で話していましたが、だんだんエスカレートしていき、他の社員にも嫌な状況を作ることとなり、ある日、上司から呼び出され、突然の解雇。
仕事はきちんとしていたのに、何の予告もなく仕事を失い、どうすれば良いのかもわからず、いきなり収入を失いました。
また、車を中古で買ったばかりで、その支払いも残っていて、どうやって切り抜ければよいのか、お先真っ暗でした。
毎日の夕食は、3束一袋に入った焼きそば麺100円とちょっとした野菜をいれて、何週間も同じ夕食。
大柄の夫はもっと食べたかったでしょうが、我慢の連続。食べるものもきちんと食べれない日々が続いたので、切れやすくもなり、毎日言い争いが続きました。
スーパーに行くときは、いつも見切り品や夕方の安売りを目指して買い出しにいったりしてし凌いでいました。
また、仕事を失った私は、内職の仕事で、サンプル品を袋詰めしたり、一個につき2円程度。
とにかく時間だけはあったので、もらえるだけのサンプル用の段ボール箱をもらって、しかも期限付きだったので、朝から晩まで内職の仕事で、日々の切り盛りをしていました。
貧乏はもうこりごりと思いながら、今でも多少貧乏を送りがちながら、いつになったら楽になるのか、でもハングリーで頑張っている今日この頃です。
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