私は2児の母ですがその子育ては本当に予期せぬ苦労の連続でした。
不妊治療の末双子を妊娠したことが分かった時は、3浪の末志望校に合格した時と同じ気持ちでした。
その時が一番幸せの絶頂だったに違いありません。
生まれる前から心身ともにボロボロにされる苦労生活はスタートしてました。
妊娠30週の検診で一人の血流が悪いから今日中に帝王切開で出産しないと命も危ないかもと告げられ、心の準備も全くなくいきなりの緊急手術になりました。
生まれて来てからも2人とも保育器の中で育てられ私はしたくても子育てに携われず、それがとてもストレスでした。
夢見ていたような子育てのイメージとは全く違うスタートでした。
あまりに小さくて正直言ってちゃんとした人間なんだろうかと思ってしまうことまであり、そんな自分を責めてみたり精神的にとても乱れて心はザワついていました。
その後、優太、健太と命名され平均よりは小さいものの順調に大きくなって行った2人でしたが、優太に心臓の病気が見つかりました。
緊急手術のためまた入院することになり、健太は実家でみてもらうことになり、まだ生まれて間もないというのに結局離れての生活になってしまいました。
手術は成功したのですが病院での定期検査が大変でした。
実家は近くないので毎回来てもらうことも出来ず旦那はお母さんがいないので頼る人が誰もいなくて、2人連れて病院に行くのはめちゃくちゃ大変でした。
待合室で2人同時に泣き出して、双子だけに人垣ができて大騒ぎとか、精神的に辛いことも多くありました。
検査入院の度に健太は実家に預けられることになり、それも毎回可哀そうでした。
どうしても心臓が悪い優太の方に親の目は向かい、健太は悪く言えば放ったらかしだったかもしれません。
優太の検査入院もなくなった2歳頃から、仕事復帰することにしました。
育児休暇は1歳までだったので大分遅れての復帰でしたが「やっとこれで子育ても一段落」なんて勝手に思っていました。
ところが、預けた保育園から健太の方に発達障害の兆候があると指摘されたのです。
早期治療した方がいいので療育に行った方がいいと言われました。
「まさか!健太も!」と気球から一人落ちて頭から真っ逆さまに下降中、勢いついている…そんな時の精神状態と同じに思えました。
そこからは有給休暇をとって健太と療育に通う生活が始まりました。
確かに保育園の中に入るのも異常に嫌がってやっと入れるようになった所だったので、また療育の建物の入口でも暴れて泣く健太を押さえて怒鳴っている私の姿は、虐待しているようにさえ見えたと思われます。
特に療育は週1回なので入らせるのに本当に苦労しました。
入ってしまえばあとは施設の人が相手をするので何てことはないのですが、とにかく中に入らせるのが本当に大変でした。
幼児期は優太の検査と健太の療育に明け暮れた苦労の子育ての日々でした。
そんなことも今では過去のことになりますがあの頃は本当に大変でした。