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私が見た衝撃のドケチ人間についてお話ししたいと思います。
それは、義叔母です。
私の父の兄のお嫁さんなのですが、こんなにケチな人に私は未だかつて出会ったことがありません。
私が初めて義叔母をケチだと実感したのは、小学生の時でした。
ちょうどお盆の時期で父の実家に帰省した時、私は子供ながらにお手伝いをしたくて台所にいました。
そこで義叔母は、お皿にかけていたラップを洗い始めたのです。
私の頭の中には、疑問符が並びました。
「使い終わったラップを洗ってどうするんだろう?」と思っていると、義叔母は徐ろに、お皿を拭く布巾をかけるところにかけ始めたのです。
そして、乾いたらしいラップを取り、残り物を入れた皿にかけ、何食わぬ顔で冷蔵庫へとしまったのです。
つまり、ラップは使い捨てではなく、洗って何度も使う、と言うことのようでした。
私はその行為を見て、子供ながらに「節約ではなく、これはケチだ」と思ったのを今でも覚えています。
他にも義叔母のドケチエピソードは数えきれないほどありますが、その二つををご紹介しましょう。
まずは、ドケチの鉄板、お中元お歳暮の使い回しです。
それもかなり手の込んだドケチテクニックです。
まずは、頂いたお中元やお歳暮の包装紙を外し、それは、捨てずに取っておくらしいのです。
そして、包装紙を外したものを以前取っておいたらしい包装紙で包み直すのです。
そこに熨斗をかけたら、見事な節約、ではなくドケチお中元もしくはお歳暮の完成です。
さらに、同じ苗字の方に贈る場合は、熨斗も使い回すのが義叔母流です。
ドケチさに女性の細やかさが加わった最強のドケチテクニックと言えるでしょう。
さて、次は、義叔母と一緒に食事をしていた時のエピソードです。
煮魚を食べ終えた義叔母は、徐ろにその魚の骨をお茶碗に入れ、お湯を注いでそれを飲み始めたのです。
それを見た私と母は思わず、顔を見合わせてしまいました。
半世紀前ならいざ知らず、現代社会にこんなことをする中年女性がいることに衝撃を受けました。
そんな義叔母をいつも見ている祖母はため息をつきながら、「ああ恥ずかしい、世が世なら節約で済むけど、今の世ではただのケチ」と呟くのでした。
祖母自身、とても慎ましく、贅沢をする人ではありませんでした。
しかし、そんな祖母の目から見ても義叔母はドケチな人のようでした。
いつも節約節約と節約に囚われている義叔母は少しも幸せそうではなく、自ら貧乏神を引き寄せているように私には見えます。
心まで貧しくなっては節約の意味はない、と感じる今日この頃です。
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