貧乏

父の工務店が倒産して貧乏のどん底!

本当は私が育った家庭は裕福だったんです。父は工務店を経営していて、社長でした。

だから同級生たちと見比べると私の家はそれなりにお金はあったと思いますし、私もわりと欲しいものは大抵、買ってもらえていました。

でも、それは小学校低学年までの話。私が小学校3年生になると状況は一変したんです。

後になって知ったんですが父の公務店、経営に行き詰まったみたいで倒産してしまったのです。

父はそれまで毎日スーツを着ていたのに、ある日を境に作業着を着て、トラックに乗って出かけるようになりました。

それが我が家の貧乏な生活の始まりです。私は小学校低学年からピアノ、そろばん、そして学習塾に通っていたんですが、突然、それもやめることになったと母から告げられたんです。

その時までは我が家が貧乏のどん底に落ちているという事をまだ、実感していませんでした。

でも、そのうちひょっとしてうちはお金がない、いわゆる貧乏になったのか?と小学生の私でも実感せざるをえないほどの生活になっていったんです。

とにかく食事が貧祖になりました。おかずらしいおかずは食卓にはのぼりません。

海苔の佃煮、お茶漬け、漬物・・・。そんなものが我が家の食卓ではメインディッシュでした。

たまに小学校にお弁当を持っていく事があったのですが、基本的にはおかずは何も入っていない、のり弁です。

少しだけお金がある時は海苔の下におかかが盛られていました。

そのおかかに私は小学生ながら、この上ない喜びを感じたものです。

ある時、私はあまりにも我が家の食事が質素なので、もう少し美味しいものを食べたいと言ったのですが、母はそんなお金はウチにはない!とものすごい形相で私の事を叱りつけたのを今でも覚えています。

それ以来、私は母に何かをねだってはいけないのだと子供心ながらに学びました。

実際、父の作った借金を返すために母も昼夜問わずパートで働いていましたし、借金の返済の督促に電話口で頭を下げて謝っている母の姿はいまだに忘れられません。

小学校高学年になると修学旅行があります。けれども我が家には修学旅行に行けるだけのお金は到底、ありませんでした。

そのため、母は学校に手紙を書いて修学旅行は欠席すると伝えたのです。

その理由は、ちょうど修学旅行の日に親戚で結婚式があり、私もそれに参加するというものだったのです。

母は私に、先生から何か聞かれたら、そう答えるようにと言い含めました。

ですから私もそのつもりでいたのですが、不意に先生から結婚式はどこでするの?と聞かれた時、思わず言葉に詰まってしまったんです。

それを母に言ったら、帝国ホテルとか椿山荘とか適当な事を言っておけば良かったのにと言われてしまいました。

私が高校に入る頃には父は事業を再建して、またある程度の生活は出来るようになったんです。

でも、小学生から中学生までの間、我が家は本当に貧乏のどん底にありました。

とにかくお金がない毎日。けれども、我が家はお金がないながらも楽しかったと思っています。

なにより、私は小学生ながらにしてお金、そして仕事というものが人生の中でどれほど大切なものかという事を学ぶことが出来たと思っています。

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