私の父親は昔、若い頃には船乗りで昔ながらの頑固者ものでした。
船乗りと言っても漁船とかではなく、大きなタンカー船だったのですが仕事柄、物凄くわがままでまた物凄く頑固者でもあったのです。
タンカー船船員と言うのは基本的には一年に数ヵ月しか家には帰ってきたりしません。
ですので、私は母親と弟がいたのですがほとんど母子家庭のような感じでした。
勿論、父親は毎月お給料を家に対して仕送りしてくれるのですが、いつも母親は泣いていました。
何故ならば、父親がお給料の半分以上を自分の懐にしまうからなのです。
ですので、私達にはほんとに生活が出来るほどのお給料しか仕送りしてこないのでした。
その為、本当であれば父親はタンカー船だけあって、かなりのお給料を貰っているのですから母親がわざわざ働かなくても良かったのです。
しかし、そんな父親のため母親は自ら働き私達兄弟の面倒をみてくれたのです。
そして、私も弟もそんな母親の姿をずっと見てきましたので高校生になるや否や直ぐにアルバイトなどをはじめ家計を助けました。
自分のお小塚いぐらいは自分でと思い、また少しでも家計を救うためにと思いお金を稼ぎました。
そして、そんな生活がしばらく続いてようやく私が社会人になった頃に父親が船員として定年退職となり家に帰って来たのです。
父親とは一年にわずか数ヵ月しか共に生活をしていませんでしたが、家ではとても良い父親なのです。
多少のお酒やギャンブルなどもしますが、一人で船にいるときに比べたらお金使いも全然控えめにしていました。
ですので、むしろその僅か数ヵ月の方が私達家族にとっては幸せな平和な家庭だったのです。
しかし、またひと度父親が船に乗るとお金使いが荒くなり母親が困り果てていました。
そして、今回は定年退職として帰って来ましたのでずっと共に暮らすのですが、不思議と父親は以前よりは優しい顔つきになったのです。
現役の時には顔が少し怖いぐらいで頑固者で目が鋭かったのですが、今では目に鋭さがなくなり、むしろ優しい眼差しになったのです。
頑固さも大夫消え、定年退職になってからは近所を散歩するようになったのですが何か気力が抜けたかのように一人で座り込むことが多くなっていったのでした。
そして、そんな日がしばらく続いて父親がもうすぐ80歳を越えた辺りから時折、突然いなくなったり、また物忘れが多くなっていったのです。
そして、病院にいったところ認知症だと診断されました。私達家族は父親のことを可哀相に思えました。
確かに私達を困らせた父親でもありましたが、仕事を辞めてからは本当にめっきり気力が抜け弱くなっていくのが解りました。
ですので、そんな父親が今では物凄く可哀相に思えたのです。
そして、それからはそんな父親が家や外でもトラブルを起こすことが多くなり私達家族はまた新たな悩みを抱えることになりました。