私の30年余りの人生で一番辛かった出来事は、幼少期の家庭内不和です。
私は電車も通っていない、田舎の漁師町で育ちました。
職人の父と会社員の母は毎日喧嘩ばかり。
父は酒乱の上に家庭内暴力の傾向もありました。
子どもに暴力を働くことはありませんでしたが、母にはいつも辛く当たっていました。
加えて私には兄弟が多かったのですが、私一人だけ年が離れていました。
そのせいか、私が付き合いにくい人間だったからか、理由はわかりませんが、兄や姉からはいつも仲間外れにされていました。
昔でいう「みそっかす」という存在です。
兄弟の中にも、心を開いて辛い状況を相談したり共感したりできるような相手はいませんでした。
父方の親戚も近くに住んでいましたが、どの人も個性的な人ばかり。
田舎の旧家だったので、ある意味常識ではなく昔からの慣習で行動しているようなところがあり、家庭内暴力をしていた父についても、見て見ぬふりをしていたような状況です。
祖母も息子たちの喧嘩には「我関せず」の状態。
夫婦喧嘩の範疇を超えていたと思うのですが、誰も父に注意したり、母をいたわったりすることはなく、家族は孤立していました。
毎日の両親の不和があまりにも辛い状況だったので、自分が唯一心を開いていた小学校の保健室の先生に相談したこともあります。
その女性の先生はとても優しく、お手紙で返事を書いてくれました。
中身は「お父さんにも何か辛いことがあるのかもしれない。また何かあったら話は聞くよ」といったものでした。
今から考えるとそのお手紙をくれた行動自体で感謝すべきものだと思うのですが、助言ではなくて、その状況から救ってほしかった自分にとっては、絶望を感じました。
こんなに優しい先生でも助けてくれないなら、この町にいる以上は誰にも助けてもらえないんだと。
それから10年ほど経ち、私は高校卒業と同時に実家を出て一人暮らしを始めました。
地元の町では学校も就職先もなかったことが大きな要因でしたが、一日も早く家を出たかったという理由ももちろんあります。
一度くらいはホームシックにかかるかなとも思っていましたが、実家を出て20年以上、一度もホームシックになったことはありません。
長い年月が経過して、家族を怖がらせ続けた父も他界し、今では母も平穏な毎日を過ごしています。
ですが、おそらく私にも他の兄弟にとっても、あの辛い苦しい毎日は一生忘れることができない出来事だったと思います。