ガスと電気そして水道も止められてしまいました。
私が小学生の頃のお話をさせていただきす。
私が小学生四年生の時に両親が離婚してしまい、そこから母親の母子手当と少ない給料で生活をしなければならなくなりました。
子供の私は分からなかったのですが恐らく特に貯蓄などもなく、その日食べる物もだんだんと貧しくなっていったことを思い出します。
私はまだ自分が貧乏だとはその時気付いておらず、母親も「お金はある。ただ節約はしないといけない」といつも言っていましたので、完全にそれを信じていました。
・貧乏だと知る
しかし、ある日を境に我が家は本当に貧乏なんだと知ることとなります。
いつも通り学校から帰って部屋の明かりをつけようとすると電気が付きません。
母親も誰も家にはおらず、小学生の私は何故電気がつかないのか理解できていませんでした。
その時は火も使えない状態でした。初めての経験でしたが母親が料金を滞納してガスと電気を止められてしまっていたのです。
水道に関しても滞納はしていましたが、止められることは珍しいらしくまだ通っていました。
滞納により、ガスと電気が止められてから1週間経っても支払いがされずにずっと止められたままでついには水道も止められてしまいました。
水道が止められるのは珍しいことのようで、さすがに母親もお金を掻き集めて支払いをしてなんとか水道は通りました。
その後まもなく電気もガスも支払い利用出来るようになりましたが、度々止められることがありました。
・見知らぬ男性が訪ねて来ました。
そんな貧乏生活を送っている中、ある日見知らぬ男性が母親の留守中に家に訪ねて来ました。
男性は何やら私に色々と聞いて来ます。
「お母さんはいる?」
「お母さんは何時に帰ってくる?」などと聞かれたので正直に答えましたが、今思えば母親の借金の取り立ての債権回収業者だったと思います。
その男性は度々我が家に訪れます。
母親は債権取り立てがくる時を知っていたのか、必ず留守にしているので取り立て業者も毎日のように家にやって来ます。
最初の方はお母さんがいるかどうかの質問だったものが、「家のテレビ見せて」や「家の家具見せて」というふうに質問が変わっていったのも覚えています。
恐らく、母親と連絡が全くつかないため、家にあるものを差し押さえして借金の返済にあてようと取り立て業者はしていたみたいです。
・まとめ
その後は引っ越しをして違う県に移ったため、債権の取り立ては無くなりましたが、いつまた来るのか毎日不安でした。
このような貧乏な生活はもうしたくないと強く思いました。
スポンサーリンク