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私は、十代の頃に結婚して、夫もまだ18歳だったので、仕事もあまりないし、私の親の反対を押しきって結婚したので、自分の実家にも頼れず、夫の家は貧乏すぎたので、辛い生活へと落ちて行きました。
産後保育園が決まらず、私は専業主婦で収入がありませんでした。夫の給料は、良くて10万、無いときは7万円でした。幸い市営住宅に入居できたので、親子三人なんとか暮らしていました。
環境は、風呂が無かったので、昼間のうちに赤ちゃんを連れて夫の実家に風呂に入りに歩いて行きました。
片道30分はあったと思います。車もなかったので、ベビーカーと歩きで通いました。
エアコンはなかったので、洗面器にお水を張って、流しで体を冷やしていました。
電気は、毎月2000円程度でしたが、払えず、毎月何日か止められていました。
ロウソクを使ったり、キャンプのランタンを使ったりしていました。
収入の主な使い道は、食費でした。夫は、建設業のアルバイトだったので、昼間は、カップラーメンを食べていたみたいです。
子供は、ミルクしか飲まないので、ミルク代が一番高かったです。米は1ヶ月に5キロを一回しか買えなかったので、夜ご飯に少しづつ炊いていました。
しかし、子供がご飯が食べれるようになってからは、自分の分のご飯が残らず、三日間くらい卵だけだったりしました。
お腹と背中がくっつくというたとえは、本当だと実感しました。そんな生活だったので産後、激やせしてしまって、私は結婚前より12キロ減りました。
若かったので、なんだかんだ体は平気だったし、痩せてうれしいくらいにしか思っていませんでした。
テーブルも買えなかったので、友人にもらうまでは、引っ越しの段ボールでご飯を食べていました。
子供もようやく保育園が決まり、私も働きに出ることができましたが、お金が無さすぎて、仕事場までの交通費がありませんでした。
朝、めちゃめちゃ早く子供を抱っこ紐で縛って、保育園に歩いて連れていき、仕事場まで徒歩で一時間かけて通いました。
帰りも、仕事場からダッシュで走って、保育園が閉まるギリギリに子供を迎えに行きました。そして、また家まで30分近く歩いて帰りました。
家につくと、もう真っ暗でした。初の給料でお風呂を五万円で取り付けました。
すると、ガス代が払えなくてガスが度々止められるようになって冬場に水で髪を洗わなければならない日がありました。そんな辛い日が4年近く続きました。
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